成長の記録 PR

プロフィール

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はじめまして、akioです!
このサイトをご覧いただき、ありがとうございます。

私は、地方で会社員をしている50歳目前のシングルマザーです。
子供は3人。
長男長女は、学生生活を終えひとまず就職、末子は高校生になりました。
あと数年で、無我夢中でやってきた子育てが終わろうとしています。
私には、今掲げている目標があります。

WEBマーケティングで、2年後に副業収入を月20万円にする!

これを聞いて、おそらく皆さんは、次のようなことを考えたのではないでしょうか?

みんなの疑問

・今からは無理じゃない?
・どうして、WEBマーケティングを学ぶの?
・月20万円って何?!
・いったい、どこを目指してるの?

わかります、その気持ち。
私が一番、自分には関係のない世界だと思っていましたから。

しかし私は、
本気で目標達成を目指していますし、掲げた数字も適当に決めたわけではありません
計画したことを着実に実行していくことで、必ず達成できる目標なのです。
それではなぜ、普通の会社員の私がこのような目標を掲げることになったのか、その経緯を、自己紹介とともにお話します。

基本情報

akio
akio
名前:akio
性別:女
年齢:47歳
居住:東北地方の過疎化が進む小さな町
職業:会社員
家族:長男(24)長女(22)次男(16)
趣味:神社仏閣巡り、温泉巡り、読書
苦手なモノ:家事
ペット:かめ
好きなYou Tube:エガちゃんねる

生い立ち~学生時代

1976年、東北地方に生まれる。
両親、祖父母、曾祖母、兄、妹と、田舎では珍しくない8人家族の一員となる。
会社勤めの両親は、休みの日でも田んぼや畑に行く働き者。
あまり家にいなかったので、普段は祖父母と過ごす時間が多かった。
ずっと両親は働いていたし、贅沢をしない暮らしだったので、うちはお金がない家なのかなと、子供心に思っていた。

小学校:自分大好きな自己肯定感高めの子

山の中にある、全校生100人にも満たない小さな学校でのびのび過ごす。
女の子の遊びより、兄や近所の友人たちと野山を駆け回ることが好きで、時間も忘れて遊んでいた。
絵画や書道、作文・標語コンクールなど、わりとなんでも得意で、入賞して表彰されるのが好きだった。
全校生の前で表彰されるし、親や祖父母も喜んでくれるのがうれしかった。
褒められると、『自分はできる子!』という思いがあふれてきて、それがまた次頑張る原動力になった。

中学校:努力するのが楽しかった陸上

初めての2クラスに、胸が躍る。
この学校では、1年間に4回もマラソン大会があり、1年生のとき、運よく優勝できた。
『優勝したら、こんなに注目してもらえるのか』と味をしめ、一生懸命走るようになる。
そうすると、またみんなが喜んでくれる。
自分が主役になれる瞬間が、たまらなく好きだった
頑張ったかいあって、2年生のときには市の選抜メンバーに選ばれるも、3年時には徐々に記録が伸びなくなる。
陸上で高校推薦の話をいただいたが、勝てない自分は見られたくない…そんな思いも抱くようになり、陸上とは関係のない商業高校を受験する。

高校:井の中の蛙大海を知る

今までの小規模校とは違う高校では、世界は広いということを学ぶ。
何をするにも、上には上がいるのだ。
勉強にしても、運動にしてもしかり。
自分がみんなの前で主役になることは、ほぼほぼなくなった。
勉強では、たくさんの資格を取得することができたが、周りのみんなももちろん合格していたし、中学の先輩に誘われ再開した陸上も、日頃から努力している人たちと、戦えるレベルになかった。
『なんだ、私ってめちゃくちゃ普通の子だったんだな』
そんな当たり前のことを、いまさら実感する。
いつもコツコツ働く両親を見ていたため、いい会社に入って、それなりにお給料をもらって
過ごしていくのがいいんだろうな
と思うようになる。
そのため、卒業後の進学は頭になく、就職するのが当たり前だと思っており、高卒求人の出ていた地元の銀行を就職する。

社会人生活

銀行員:楽しいデスクワーク、楽しくない営業

銀行では、庶務からスタート。
こういう作業は大得意である。
無我夢中で業務をこなした。
デスクワークは本当に楽しくて、自分の性にあっていた。
2年目になると、気の合う後輩も入ってきて、充実した日々を過ごす。
一方、ボーナス時期などは、営業活動をしなければいけないのだが、営業がまったくできないことに気付く。
そんな簡単には、誰も貯金してくれない。
一度苦手だなと思うと、それが苦痛になり、やりたくないに変わる。
いつも、他人と比較しては落ち込み、かといって努力もせず、自分の中で言い訳をすることの繰り返し。
ふと気づくと、『私には、この仕事は向いていないんじゃないか』と思うようになる。
そんな悶々とした思いを抱えながら、丸4年働いたのち、当時付き合っていた人との間に子どもができ、理由ができたとばかりに結婚退職をする。

専業主婦:世の中のお母さんの偉大さを知る

子育ては楽しかったが、専業主婦というお仕事は一生懸命になれなかった。
そもそも、実家にいるときも、陸上やら仕事やらなにやら言い訳にして、家の手伝いをやらずにきてしまった。
最初は頑張れた家事も、だんだんと手抜きになっていく。
子どもを産むときも思ったことだが、世の中のお母さんって本当にすごい!と心から思えた。
同時に、自分の母親のすごさに気付く。
ずっと仕事をしながら、家事と子育て、農作業をしていたのだから。
仕事が嫌で辞めることを決意したのに、今度はこの状況が嫌になると、仕事をしている方がいいなと考えるダメダメな自分がいた。
その後、保育園併設の会社で乳製品等配達のパートをする。
営業できないはずじゃ?と思うところだが、毎日の配達先は決まっており、そこにお邪魔すればよかったので意外に苦痛ではなかった。
訪問先でのおしゃべりも楽しかった。
が、こちらも、2人目の妊娠でやめることになる。

学校事務:目からウロコ!の毎日

再び専業主婦に戻ったが、2人目が1歳になる頃、近くにある高校の学校事務の仕事をしないかというお話をいただく。
お堅そうなイメージの仕事が大好きな私は、喜んで引き受ける。
この高校との出会いは、自分をいい方向に変えてくれた。

農業科のみを置く少人数校だったが、農業を学びたいという子は珍しく、ほぼほぼ、小学校や中学校時代に不登校になった子やちょっとぐれちゃった子、成績が悪く、他の高校だと入学は厳しいかなという子ばかりだった。
先生方も実に個性的で、学校というものの概念が大きく変わった。
先生方はあたたかく、生徒たちには、普段から目をかけ、声をかけ、手をかけていた。
日々、いろんなことが起こったが、どの問題にも、先生方は本気で向き合い解決していた。
人間臭さがあふれる毎日だった。
ただの事務員の私が生徒と関わることはなさそうだが、ここでは学校の一員としていろいろな行事に参加させてもらうことができた。

課題研究という授業がある。
生徒が、農業に関する課題を設定し、調査・研究・実験を行い、結果や考えをまとめるものだ。
この課題研究の全国大会で、小さな町の小さな学校の研究が“最優秀賞”という快挙を成し遂げた。
全国一位だ。
子どもたちは休み返上で毎日精一杯努力し、学校も町も万全の態勢でバックアップした。
関係ない人など一人もいない、全員が全力で自分の仕事を全うした結果だった。
自分にも役割を与えられ、一緒に関わらせていただけたことは大きな財産となった。
自分で考え努力すること
でも一人では何もできないこと
人の力になってあげること
背中を押してあげること
間違っていたら本気で正してあげること

たくさんのことを学んだ。

学びのある10年間だったが、時代の流れで学校は惜しまれながら閉校となる。
この勤務中に、3人目の子どもが生まれるもその後離婚をする。

コンビニ店員:離婚で人間不信に

学校勤務が週3~4日だったため、空いた日はコンビニでダブルワークしており、閉校後は、そのままコンビニの正社員として働く。
オーナー夫妻は、我が家の状況をいつも気にかけてくれていた。
離婚後は、深夜勤務も入れた。
子どもたちを養っていかなければいけないと、必死に働いた。
子どもを21時までに寝かしつけ仕事に向かうのだが、ある日出かけていくとき、ふと部屋を見ると、カーテンの隙間から長男が寂しそうな顔で『じーっと』こっちを見ていたことがある。
本当に後ろ髪を引かれる思いだった。
今もそのときのことを思うと、涙が出そうになる。

離婚は、人間のドロドロした本性がたくさん見えた。
誰が味方で誰がそうじゃないのかもわからない状態で、精神的にも不安定に。
鬱っぽくなり、心療内科にも通った。
人間不信のコンビニ店員…
それはそれは不愛想なことだっただろう。

現在

今の会社に入社:必要とされ、取り戻す自信

2年ほどコンビニで働いていると、友人より『うちの会社で働かない?』と声がかかる。
今働いている建設会社だ。
フルタイムの正社員で事務の仕事。
こんなにありがたいことはない。
お世話になったコンビニのオーナー夫妻には、本当に申し訳ない気持ちだったが、温かく送り出してくれた。
この会社では、みんなポジティブでプラス思考だった。
仕事も早く、新しいことや楽しそうと思うことは、すぐに挑戦する。
自己肯定感が低く、すぐ『自分なんか…』という私を、友人は『そんなことはない。あなたは仕事ができる人』といつも励ましてくれ、必要としてくれた。

そうすると、何かこの会社のためにできることはないか?と、考えるようになる。
知らないことが多すぎたので、知識をつけたいと思い、宅建士やインテリアコーディネーター、建設業経理士など、仕事に関係のある資格を取得する。
現在は、会社のサイト管理やSNSも任されている。

今後のこと:なぜWEBマーケティングを学ぶのか

やりたいことだけやって、やりたくないことはやらないという、ふらふら根無し草のような人生を送り、おもいっきり壁にぶつかり挫折。
目標をもつこともなく、なんとなく過ごしてきた毎日だったが前向きになり、今後のことを考えるようになった。

無我夢中の子育てをしてきて、今ようやく一人二人と巣立っていく。
周りからは、『みんな大人になって、安泰だね』と言われることも多くなったが、ここまでこれたのはたくさんの人の支えがあったから。
両親はもちろん、子どもたちにも迷惑をかけたし、離婚後も元義両親は子どもたちに愛情を注いでくれた。
会社の仲間たち、友人知人もずっと見守ってくれた。
そして、たくさんの公的援助にも助けてもらった。

今切実に思うこと
それは、『恩返ししなくちゃいけない!』

・お世話になった公営住宅を次の困っている人に譲りたい。
・両親に借りた車の借金も返したい。
・どちらの両親にも、旅行をプレゼントしたい。
・両親の介護も、万全にしてあげたい。
・子どもたちには、奨学金借りてもらったからその返済も手伝ってあげたい。
・末子にも、車買ってあげたい。孫ができたらたくさん援助してあげたい。
・仕事も、今担当しているSNSのこともっと勉強して、実績でお返ししたい。

たくさんの叶えたいことがある。
そのためには、まだまだ稼いでいく力が必要なのだ。
コロナ禍のような出来事で、昨日までの当たり前がいとも簡単に崩れていく今の世界。
会社勤めも、いつまでできるのかわからない。

そんなとき、私は【WEBマーケティング】を知った。
いつも見ているYou Tubeに出演されている方が、オンラインサロンをやっており、そこでマーケティングを学ぶことができた。
これからの時代、ますます必要とされるスキルだ。
知らないことを知れる喜びは大きく、仕事にも活かすことができた。

そこで講師をしている方が、スクール生を募集することになった。
1年でゼロから学び、スキルを身に付け人生を変える”方法を学べるという。
いつも、その先生のお話は説得力があり、『絶対学びたい、このチャンスを逃したくない!』と思ったが、すぐに飛びつけない課題もあった。
年齢の問題とスクール代だ。
年齢のせいか記憶力も悪くなってきており、果たしてついていけるのか…
そして、スクール代は業界内では破格の価格とはいえ、約66万円。
しかし、『年齢制限は50歳以下』という条件をクリアしたことで、やるしかないの一択に変わった。
ここで頑張らなかったら、これから先、みんなを幸せにできない。
今後何かやりたいと思っても、年齢を重ねれば、今よりもっと厳しくなるだろう。
なんとか資金も用意した。

ラストチャンス

『ラストチャンス』

そう思い、毎日必死で学んでいます。
これが、冒頭で私が発表した、なぜWEBマーケティングを学び、副業で月20万円稼ぎたいかの理由です。
私は、同じような境遇の人に、こんな方法があるよ!ということを知ってもらいたいと思っています。
そのためにも、絶対これは達成したい目標です。
本当にそんなことが可能なのか、ぜひ、このサイトにお越しいただき確認してください!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!